このところメチャクチャ忙しくて更新するのが遅れました。待ちに待ったベルセルクの最新刊とスピンオフ小説、今後の展開について色々と書いてみました。
最新刊とアニマルと小説を一気に読んだばかりの感想としては、どれも圧倒的なクオリティとしかいいようがありません。
39巻ではひたすら丁寧に妖精郷を描写していますし、1コマ1コマが絵本の挿絵レベル。
ここまで積み上げてきたキャラクターの生き生きとした描写や関係性も凄いとしか言いようがないです。
どうしてもストーリーを進める為のコマとしてキャラクターを配置するタイプの漫画家が多い中、心理導線がこれしかない!というレベルの整合性をもって感じられます。
一人ひとりが凄く自然なんですよ。
しかも深い業を背負っている人物ほど深く描写されていますし、不自然感はゼロ!
失った鷹の団の代わりにガッツが得た家族として旅の仲間達にそれぞれの目的。
しかも同時進行でリッケルト一行を描写することで別視点を確保していて、俯瞰的に世界を見る事が出来ます。
もうこれは大河小説を超えたと思います。
漫画よりも小説の方が「文化的に上」のようにみられることが多いですが、今のベストセラーや書店に並んでいるラインナップを見るに、どう考えても漫画の方が幅広いし、クオリティ高いものが多いように思えます。
特に文芸作品クラスタはほんとにヒドい。よくこんなもんが賞を取ったと思うレベルの金ドブですね。
売れなくて当然。
ライトノベルを下に見る事が出来る作品なんて少ないですよ(呆)
・・・・閑話休題。
キャスカの心理世界と今後の展開について
ここからはアニマルの最新話を踏まえてのネタですが、正直かなり不穏な雰囲気を感じます。
多分、ガッツにとってはもっともショッキングな本音が出てくるんじゃないかな。
そもそもベルセルクのキャラクターはみんな複雑な心を持っています。
ガッツにしてもただの復讐者ではありません。
生まれて初めてできた家族同然の鷹の団を皆殺しにされ、自分は目と腕を失い、目の前で恋人を蹂躙され、烙印を刻まれてなお、自分の判断が親友を追い込んでしまったかもしれない負い目や、唯一の友として相手を理解できなかった無念さや、今ではまともに相手にされていない苛立ちがあったりします。
ここまでされても100%グリフィスを憎むことができない自分を自覚していると思う。
こんな具合にガッツについては数十巻の積み重ねでどんな思いがあるか大体は把握できます。
しかし、キャスカに関してはどうでしょう?
13巻以降、今までキャスカの心理描写はほとんどされていません。
ここにキャスカが一番隠したい本音があると思うのです。
例えば、アニマルの連載ではついに蝕で蹂躙された時の性的イメージの怪物が出てきましたが、心の中心にはグリフィスがゴッドハンドに転生した時の卵がありました。
「あいたい人がいるの」というミニキャスカのセリフも不穏です。
多分、キャスカにとって最愛の人はガッツではなくてグリフィスじゃないかな。
ガッツ視点だとキャスカにとっての一番が自分である事に疑いは無いと思うし、キャスカの事は親友に裏切られた被害者として見ているでしょう。
でもキャスカ視点を推測してみるに、抱かれた時にやっぱりグリフィスだ!という事に気付いてしまって、ガッツ(+団員達)に合わせる顔が無い&ここまで蹂躙されても好き!な自分に絶望して心を壊したのだと思うのです。
だから正気に戻りたくない。
でもガッツはそんな事全く考えておらず、被害者を助けている気になっているから、善意で正気に戻そうとする。
もし仮にこの予想が当たっているとしたら、ここまでのガッツの頑張りはピエロですよね、つらい。
ベルセルクは大河ファンタジーですが、究極的なテーマは世界自体の描写ではなく、男女3人の愛憎のもつれ、ではないでしょうか。
炎竜の騎士について
実のところ、キャスカの一番がグリフィスではないか、とキャスカ視点について思い至ったのはスピンオフ小説のおかげです。
本作もシナリオはウラケンが書いていますから、小説家がキャラクターと世界を借りて作った完全オリジナルではありません。
で、炎竜の騎士でも男女3人と栄光と破滅がメインテーマなんです。
しかも原因は男の嫉妬。
多分、ここにウラケンの作品を作る上での強い初期衝動があると思います。
もちろん、答え合わせは連載が再開される冬までお預けなので、まったく的外れな事を書いているかもしれません。
はやく続きが読みたいですね(切望)
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