公開日にフリクリオルタナを見てきたので感想を書きました。ガチの感想なのであらすじネタバレ要素があります。映画を見てからご覧になることをおすすめします。
当初、フリクリオルタナの感想は動画にしようと思ってシナリオを描いていましたが、新しいツールが使いこなせていないので、まずはブログで公開します。
語り口調なのでご容赦ください。
目次
フリクリオルタナの評価
はい、こんにちはモダンです。
この動画でしゃべっているのって、9月7日の深夜です。
今日はフリクリオルタナの公開日だったんで、仕事一段落させてとりあえず観てきました。
それで正直、こうなんていうかもにょる感じの感想しかでてこなくって、色々と思考を整理するために動画にしてみました。
いきなり結論からいってしまうと、
正直微妙。
微妙な理由っていくつかあるんですが、まず第一に言いたいのはとにかくアクションと音楽に爽快感とかインパクトがないんです。
1作目のフリクリは2000年の作品なんで続編をくさすのは思い出補正と言われればその通りなんですが、とにかく盛り上がらない。
オルタナは全然パンクでもロックでもないんですよね。
で、どうしてパンクでもロックでもないのかといったら、やっぱりメインテーマが微妙だからだと思うんですよ。
フリクリオルタナの物語レイヤー
そこでちょっと順番に話をしますね。
フリクリオルタナは2つのレイヤーで物語ができているんです。
一つは仲良し女子高生4人組の日常と非日常。
二つ目がコミュニケーション不能なエイリアン、メディカルメカニカの地球侵略への対応。
この2つのレイヤーが融合して、作品になっているんですね。
で、アクションがあるのは当然エイリアンとの闘いの方なんですが、アクションのカギを握るのエヌオーという技術なんです。
これは右脳と左脳の思考ギャップをどうにかすることで、超空間からものを取り出したり、取り込んだりする技術なんです。
このエヌオーの強さっていうのが、個人によって凄く差があって、強いエヌオーを持っているとメディカルメカニカの巨大ロボットを吸いこんだり、強い武器を引っ張り出せたりするんです。
駄目な奴だとミニカーしかでてこなかったりするんですけどね。
で、このエヌオーを発動させるには、感情を高ぶらせる事が大事なんです。
ここが2つのレイヤーを結ぶキモで、高ぶる感情っていうのがキャラクターの本当に抱えている衝動なんです。
例えば、1作目だと主人公のナオ太君のリビドーだったり、女に認められる男になりたいっていう成長欲求ですね。
この読み解き方に異論がある人はいるかもしれませが、明らかですよね。
最初にエヌオーが発動したときにナオ太くんの額からアレを連想させる謎の突起が出てくるなんて、思春期と自我の目覚めのメタファーとして誤読のしようがないです。
まあ、あの突起はあとでメディカルメカニカのロボットの一部が召喚されていたって事が判明するんですけど。
じゃあ本作の主人公、彼女は河本カナっていう女子高生なんですが、カナブンってあだ名なんで、以降カナブンって呼びますね。
カナブンも強いエヌオーを持っていることで物語の中心となるんですが、彼女の衝動って何かっていうと現状維持としか読みとれないんです。
これじゃ全然物語をドライブしていくパワーにならないんですよ。
フリクリオルタナにはエヌオーの力を使ってメディカルメカニカに対抗しようとするラハルって女がいるんですが、あの手この手を使って人間関係をひっかきまわしてカナブンの感情を高ぶらせようとするんです。
そうしないと強いエヌオーが発動しないから。
カナブンの前で片思いの相手を誘惑して嫉妬をあおったり、体育館倉庫でいちゃつくようにしむけたり。
でもいざ告白しようとか、キスをしようとかって段階になるとカナブンは避けて逃げたり、途中でドキドキが冷めたって言ってお断りしちゃうんです。
現状維持をしたいから。
でも、映画の最後の最後でエヌオーを発動させてピンチを乗り切るんです。
その時のモチベーションがさびしいとか、あなたが去って行っても自分はここで生きていく、みたいな叫びなんです。
いや、確かに極限的な状況なんですけど、そこで発せられた言葉に絶望しました。
カナブンって究極的に空っぽの女の子なんだなって思うと乗り切れない気持ちになりますね。
カナブンがどんな女の子なのかっていうのは、クライマックスまで友達を通して描かれているんですがほんとに何の特徴もなく、目的もなく、仲良し4人組をずっとやっていたいっていうモチベーションしかないんです。
いくらべったり仲良し4人組だって、それぞれに色んな背景があるじゃないですか。
仲良し4人組の背景
ヒジリーの挫折
ヒジリーっていう女のはものすごい美人なんですが、写真家志望の金持ちの大学生と付き合ってスポーツカーに乗せてもらったり高価なアクセサリーをもらったり、性的冒険をすることで自分の価値を確認するタイプの子なんです。
ここでのやり取りが本当にいたたまれなくて、おっさん視点だとみていて共感性羞恥をおぼえるんですよ。
あ、共感性羞恥 っていうのは失敗したり恥をかいたりする人を見てられない気持ちですね。
出版部数50部の自費出版雑誌の表紙にしてもらったのを自慢に思うとか、金持ちの愛人になりたいとか、もらったネックレスを見せびらかしたり、同年代を下に見たり。
でも、結局ヒジリーはあっさり捨てられてしまうんです。高価なアクセサリーもかえしてくれるよねってラインで追い打ちかけられる。
で、自分は背伸びしすぎたって日常に戻ってくる。
モーさんの挫折
モーさんっていういつも食べてばっかりの女の子は、家が貧乏だから服飾の専門学校に行くために工事現場でアルバイトしたりコンテストに服を応募したり頑張ってる。
でも、1次審査は突破したものの、肝心のコンテストでは何の賞も取れない。
賞は取れないけどラハルが着て暴れてくれたからアニメとしては見どころになるというか、とってつけたようなフォローがつらい。
で、モーさんも賞は取れなかったけど、楽しかったって自分を納得させて戻ってくる。
ペッツの場合
仲良し4人組、最後の一人のペッツはあんまり自分のことをしゃべらないタイプの女の子なんだけど地球がメディカルメカニカによってまっ平にされて滅ぶからって、なにも言わずにフェードアウトして高級官僚の父親と宇宙船にのって火星に移住しちゃう。
カナブンやモーさん、ヒジリー達は残されてロケットを地上から見上げるだけ。
ペッツと別れるときに、カナブンはお節介を焼きすぎてうざいとか、極限状態の中でいろいろ言われるんですよ。
でも結局お別れの挨拶もなしに去っていく。
ペッツに関しては家庭環境に問題があるんだろうなって事を暗示するだけで、本人の内面を描写しないのがちょっと不完全燃焼って感じですね。
敢えて置いていかれる側の視線しか描いていないのかもしれませんけど。
ペッツとの別れと日常の崩壊
ここで仲良し4人組の日常が崩れてしまうんです。
それがトリガーとなって、カナブンはさびしいとか、それでも自分はここで生きていくって叫んで究極のエヌオーを発動させるんですね。
もうなんというか、全然乗れない気持ちになるって言うのわかってもらえたでしょうか。
こんなに空っぽな女の子が主人公でいいのかなって受け入れがたいわけです。
ただ、これはおっさんの感想ですから、同年代の学生が見たら感想は違うかもしれない。
リアルだとか、これは自分のことじゃないかって思ってしまう人だっていると思うんです。
一応、最後の最後でほんの少しだけ成長したかような描写があるのですが、なんだろう。
メタファーとしても弱い感じがする。
映画の冒頭で、カナブンが家を出るときに汚れたローファーに絡まったイヤホンを身につけているんですね。
でも映画のラストでは同じカットで、きれいなローファーに絡まっていないイヤホンをつけて通学します。
これで彼女の成長を見て取ってねっていうのはなんだかな~と。
彼女の中でもやもやしていたものに一つのケリが付いたようには見えないんですよね。
地球滅亡っていう究極のイニシエーションで引っ込み思案な自分の感情を叫んだけど、出てきたものが凄くしょぼいし、全然変わってないよねって。
これに比べたら1作目は明確に主人公のナオ太君が成長したのが分かって清々しいラストでした。
ちなみに、アマゾンプライムビデオで1作目の配信が始まるので、登録している人はぜひご覧になってみてください。
すっきりしないメインテーマ
日常は永遠に続かないけど、終わりなき毎日を生きよ、お前らはロケットを見上げるだけの凡人だ、みたいなテーマとロックやパンクはかみ合わなくて、これが映画全体のスッキリしなささの正体じゃないかなと。
それに作中で出てきた蓮舫をモチーフにしたみたいなヒステリーで無能で嘘つきな汚い政治家や気力のない大人、くたびれた中年なんかもゲンナリする原因かも。
そんなの関係ねえ、俺は俺のやりたいようにやるとか、ぐちゃぐちゃいうなら全部こわしちゃえっていうのがロックやパンクの精神だと思うんですよ。
そういうのを吹き飛ばしてほしかったなって、思うんですよね。
そんなわけで、フリクリオルタナは毎日モヤモヤしている女の子の物語なので爽快感はあんまりありません。
一作目のフリクリとは別物だと覚悟したほうがよいでしょう。
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